Б.リーフシツ『一個半眼の射手』
第七章 我々と西欧
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 私がこのことを確信したのは、この翌日、彼と一緒にカラシニコフスカヤ取引所ホールでの彼の二回目の講義に向かうために、「レジーナ・ホテル」に彼を迎えに寄ったときのことだった。
 私はかなり奇妙な見た目をした彼を見つけた。すでにタキシードを着て、ネクタイも巻いていたが、彼は部屋の真ん中にズボン下だけの状態で立ち、ついさっき最も危機的な箇所が破けてしまった自分のズボンをじっと見つめていた。別の黒いズボンを持っていなかったので、背広服で首都の観客の前に登場することは絶対に不可能だと彼は考えていた。
 私がそんな些細なことを気にしないように説得しても無駄だったし、未来主義的大胆さと周りの人の考えることに対する無関心を彼に起こさせようとしても無駄だったし、マヤコフスキーの黄色いブラウスやブルリュークの絵を描かれた頬によってそそのかしても無駄だった。彼は確固たる態度をくずさなかったのだ。仕方がない――ルームサービス係を呼んで、どんな方法でも構わないから敗れたところを十五分で直すように命じることになった。
 使用人は、見たところ、独力で苦境を何とかしようと決心したのだが、明らかに自らの仕立ての才能を過大評価していた。マリネッティが不幸のもとのズボンを履くやいなや、ズボンのまったく同じ箇所がふたたび破けてしまったのである。
 これ以上待つことはできなかった。講義の開始まで、せいぜい二十分しか残されていなかったのだ。破けた箇所を安全ピンでなんとか固定して、西欧未来主義のリーダーは、階段を下りて、私たちを待っていた自動車へと突進した。
 まだ部屋にいたとき、私は、マリネッティの机の上に、開封していない封筒の山を見つけて、これはどんな郵便物なのかと彼に尋ねた。
「女性からの手紙ですよ、ここで受け取ったものです。モスクワでは、この二倍ほどありましたがね」彼は少々誇らしげに答えた。
「なぜ開封しさえしないのです? 女性への軽蔑からですか?」
「それだけじゃありませんよ。私はロシア語が分からないのに、それらはほとんどすべてロシア語で書かれていますからね……。これはあなた方スラヴ人に典型的なことで、我々とは似ていませんね……」
「「これ」とはなんのことです? それと、誰について話しているんですか? イタリア人ですか、未来主義者ですか?」
「あなた方ロシア人は奇妙な人々だ」彼は、私の質問には答えずに続けた。「あなた方は自分が女性を愛していることに気づいたら、三年間自分をあれこれとかえりみて、彼女を愛しているのかどうかよく考えて、それから三年間、彼女にこのことを伝えるべきかどうか、最良のやり方でそうするにはどうしたらよいのか迷うのです……。それから婚約者としての時が訪れて、それをできるだけ長い期間に引き延ばそうとするのです……。そしてついに夫と妻になったときには、両者の愛はずっと昔に消えてしまっていて、たっぷり十年は遅かったのだということが分かるのですよ!」
「どこからそんなたわごとを仕入れたんです?」
「あなたの国の文学はみんなこんなことで満ちているじゃないですか……。ツルゲーネフ……。トルストイ……。それに引き替え我々は(また曖昧な「我々」だ!)……。もし、我々が女性を愛したら、彼女を車に乗せて、ブラインドを下ろして、あなた方が何年もかけて得るものを十分で受け取るのです。」
 このような百馬力の男根崇拝的感奮に何を対立させることができたろう?
 私は反論しなかった。
 私の沈黙を賛成ととったらしく、マリネッティは、最後に残った節度の感覚も失った。彼は、教え諭すような口調になって、私に、というよりもむしろ、私を通じてあらゆるロシア未来主義者に対してお説教を始めた。
「なぜあなた方が果てしないいがみ合いをしているのか理解できません! 果たしてあなた方は、共通の綱領を作り上げて、敵に集中砲火を浴びせることのできる状態にあるでしょうか? 我々、イタリア未来主義者は、共通の理念のために個人的な軋轢は犠牲にしましたよ。なぜ、あなた方は、自身を分裂させるような喧嘩を放棄すること、また我々を手本として一つになることができないのですか?」
 未来派の発生の歴史を相手に詳しく知らせる意欲も時間も、私にはなかった。あまりに多くのこと――我々の名称の偶然的な起源に至るまで――を洗いざらい調べ上げなければならなかっただろうし、そのせいでマリネッティはきっと唯一髪が残っている場所である後頭部の髪さえ逆立ってしまっただろう。私は、率直な回答を避けて、続く「統率者」の駄弁を聞くことを選んだ。
 彼の言葉によれば、彼と彼の同志たちは、彼らによって組織された「管理機関」のための建物を見つけるのに大変苦労しているとのことだった。未来主義の創始者のために若い学生たちによって催される下手な演奏のせいで他の住人が眠れないという理由で、家主たちは彼らとの契約を相次いで破棄したのだ。
「私が家を買わされたのですよ。他の打開策はありませんでしたから」マリネッティは自分の語りを終えた。
「我が国の高齢の作家のなかに」私は考えた。「このような軽快さで自分の道にある障害物を取り除くことのできる者は多くいるだろうか? それに、このようなひたむきな気質が彼らのところに、産業のミラノに残っていたとは。学生、下手な演奏! ロシアでは誰がこんな方法で未来主義と格闘しようと思いつくだろう!」
 産業の中心地に対する私の理解とは矛盾する、こうした日常の族長時代的な素朴さによって私を驚かすという目標を立てていたようで、マリネッティは、見解の不一致にもかかわらず、未来主義者たちが自国の誇りとしていたイタリアのロダン、メダルド・ロッソについて私に語った。
 ロッソはたくさん稼いでいたが、自らの気まぐれを我慢する習慣がなかったので、決して明日に自信を持つことはなかった。財政難を予防するために、彼は独創的な方法を発明した。金を受け取ったら、彼はすぐにそれをつかんでアトリエの隅から隅までばらまき、それから、苦境に陥ったときに、散らばった金貨を四つん這いになって探すのだ。
 債権者たちが彼を苦しめていた。あるとき、債権者たちが、彼の住んでいる家を正真正銘包囲してしまった。彼は、デートを予定していたカフェにこっそり行きたいと思い、玄関を見張っている債権者に会うことを恐れながら、彫刻作品の購入者から届けられた箱の中に自分を入れて家から運び出してくれるよう友人たちに提案した。債権者たちは、注文品の現金化は支払の時期を早めると判断して、彼ら自身も重い箱をワゴンに載せるのを手伝った。同じやり方でロッソは家に帰り、さらなる面白い伝説によって自身の伝記を充実させたのだった。


底本:Лившиц Б. Полутораглазый стрелец: Стихотворения. Переводы. Воспоминания. Л., 1989.