Б.リーフシツ『一個半眼の射手』
第七章 我々と西欧
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 マリネッティの最初の講義の翌日、私たちは、晩に、イタリアの客人のために夕食会を催したクリビンのところに集まった。私たちは十五人だったが、夕食の席で始まった会談に参加を受け入れられたのは、ある程度はフランス語を自由にあやつることのできる人に限られた。フレーブニコフはこれ見よがしに欠席し、彼は理論的には「歓待の羊の上にある奴隷根性のレース」の存在を許していたにもかかわらず、おそらくは、私を裏切り者とみなしたのだった。
 マリネッティはたいそう如才なく振る舞い、高名な客演俳優にできるだけ似ないように努めていた。彼はいくつかのロシア名をしっかりと覚えようとさえして、このことによって彼は自分がやって来た国への最低限の尊敬を示し、グミリョフとアフマートワというプロレタリア詩人について私に詳しく尋ねてきたという点でデュアメルが避けられなかったような滑稽なへまを避けるための保険を自らにかけたのだ。
 彼は、自身の最新の本『ザン・トゥム・トゥム』から二、三の断片を生き生きと朗読し、まったく声帯模写の名人の名にふさわしい才能を見せつけた。彼が朗読をしているあいだ、クリビンは彼の肖像をスケッチすることができた。いくつかの直線が、彼の顔の特徴を立派に描写していた。
 その顔は、話題の調達と計算に事欠かないニコライ・イワーノヴィチが、彼の二重の名前と苗字、Filippo Tommaso Marinettiの頭文字が、FuTurisMの主要な音を含んでいることを彼に気づかせたときに、ぱっと明るくなった。このことは、ついに解読されたホロスコープのごとき大きな感銘を彼に与えた。このときから、彼は、もはや「futurism」を、自身のイニシャルを大文字にして強調しないでは書かなくなった。
 マリネッティのあらゆる動きとジェスチャーは、一般的な大衆から彼を際立たせる突発性と熱烈さを特徴としていた、とはいえ、マクシミリアノフスキー横町に集まった仲間たちを、礼儀正しいペテルブルクの典型的な代表だとみなすことはどうしてもできなかったが。私は、我々の客人がうわべだけの気取りをしているのではないかと疑う考えからは離れていた。彼の誠意は私に何の疑いも呼び起こさず、彼のむき出しの感情には欺瞞的行為の影もなかったのだ……。
「しかし、これを真の愛や真の憎しみと呼べるだろうか?」私は自問し、その問いに否定的な答えを出した。未来への愛と過去への憎しみは、マリネッティにおいては、単なる人間的な感情ではなく、化学元素どうしの相互引力や反発に類似した現象であった。私が、彼の叫びのなかに化学反応に伴う特徴的な破裂音を感じ取ったのも、理由のないことではなかったのだ。未来派人たちはプーシキンを「現代の汽船」から放り出してはいたが、プーシキンを枕の下に置いて寝ていたのである!
 夕食の席で、私はマリネッティの隣に座らされた。ワインがすぐに私たちの口を開かせた。マリネッティは、昨日のビラについてすでに知っていて、誰かが彼にそれを翻訳しさえしたので、最初に彼はこれをテーマに話し始めた。
「あなたはある点では正しいですよ。人種の血は――マグダラのマリアの髪ではありませんからね……。それを乗り越えることは簡単ではありません。なんにせよ意味のないことです! しかし、我々とあなた方には共通の敵がいます――懐古趣味というね。我々は団結して活動するべきですよ……」
「イタリアの懐古趣味とロシアの懐古趣味――我々のところではこの用語は条件付きでのみ用いることができるのですが――は、ひどく異なるものですよ……。過去の重しは、あなた方の重大な悲劇ですが、我々にとってはほとんど未知のものです。なにしろ、それは、芸術作品として具現した民族的な天才の量に正比例するのですから。あなた方のスローガンは、我々のところでは自らの熱情をすべて失ってしまうのですよ。ロシアにはミケランジェロはいませんでした、しかしオペクーシン、アントコーリスキイ、トゥルベツコイのような人々がいます――彼らが誰の邪魔になるでしょうか? さらに言えば、いったいこれが――ロシアの芸術でしょうか?」
「ではプーシキンは?」
「我々のところにはフレーブニコフがいます。我々の世代にとって彼は――十九世紀初頭にとってのプーシキンと同じ、十八世紀にとってのロモノーソフと同じなのです……」
 私は、話し相手に、ロシア語とロシア詩に対するフレーブニコフの功績がどの点にあるのかについての説明をできる限り試みた。私のこの試みは、あまり説得力のあるものではなく、うまくいかなかったようで、マリネッティは突然こう述べた。
「いや、言語芸術はまだそれですべてではありませんよ……。ほら、我々は――我々はシンタクスを破壊しました!……我々は動詞をただ不定法の形で用い、形容詞を廃止し、句読点を殲滅しました……」
「あなた方の闘争は皮相的な性格を帯びていますね。あなた方は、個々の品詞と戦っているのであって、語源学のカテゴリーの平面を越えていこうとはしようともしないのです……。あなた方は、文法的な文のなかに論理的な判断の外的な形式のみを見ることは望まないのです。あなた方が伝統的なシンタクスに狙いを付けているその矢は、すべて的を外しています。あなた方によって導入された新しいやり方にもかかわらず、論理的な主語と述語の関係は、揺るぎないものとして残っています。なぜならこの結びつきの観点からすれば、論理的判断の成分がどの品詞によって表現されるのかはどうでもいいからです」
「あなたはシンタクスの破壊の可能性を否定するのですか?」
「少しもそんなことはありません。我々はただ、あなた方、すなわちイタリア未来主義者たちがそれに甘んじているような手法では何も獲得することができない、ということを断言するだけです」
「私たちは、不条理な詩の基礎としてザーウミの教えを引きだしたのです。」私たちのそばに座っていたクリビンが私に加勢した。
「ザーウミ?」マリネッティは理解できなかった。「それはいったい何ですか?」
 私は説明した。
「それはまったく私の「自由態の言葉」ではないですか! あなたは私の文学の技術的マニフェストを知っていますか?」
「もちろんです。しかし、私はあなたが自家撞着に陥っていると思いますね。」
「なぜです?」マリネッティは赤くなった。
「ご自身の朗読によって、ですよ!……あなたが「自由態の言葉」と呼んでいる言葉の語形変化のない堆積によって、あなたはどんな目的を追求しているのです? 最大限の無秩序によって理性の平凡な役割をすっかり消滅させること、これではないのですか? それにもかかわらず、あなたの『ザン・トゥム・トゥム』のタイポグラフィの形とその声に出された発音との間には――大きな食い違いがあります」
「私の本を家で読みたいと思った私の聴衆の多くが、同じことを私に言いましたよ。」
「そのことは、私があなたにお話ししようとした考えを裏付けるだけでしょう……。あなたの「自由態の言葉」のメモとあなたの朗読とのあいだの差異を明らかにするような説明を自らに向けてしてみたことはありますか? 私は、たった今あなたの朗読を聞いて、こう思いました。伝統的な文を新たに復活させるために、ジェスチャー、表情、イントネーション、擬声語という暗示的な要因によって、たとえばあなたがしたように、伝統的な文から奪われた論理的な述語を文に返してやりながら、伝統的な文を破壊することに価値があるのだろうか?と」
「では、ボッチョーニが、様々な素材から、つまり大理石、木、ブロンズから、同じものを彫刻していることはご存知ですか?」
「ああ、それは全然違いますよ。私の考えでは、芸術作品はそれ自身で閉じている場合、つまり自分の限度を越えて補足を求めない場合にのみ完結するのです。詩は――ある一つのもので、朗読は――まだ別の一つです……」
「朗読!」マリネッティは私の話の腰を折った。「問題はそこではありません。朗読は、今まで通訳やガイドの義務を果たしてきたシンタクスの一時的な交替、移行段階にすぎないのです。私が「無線の想像力」と呼ぶものを我々が日常に組み入れるのに成功したとき、そして我々がただ二列目の枠内にとどまるために、類似の一列目を撃退することに成功したとき、――換言すれば、我々が、理性がしかるべき、まったくつつましい場所を占めているような世界を新しく直観的に知覚するための強固な基礎を置いたとき、朗読のことは問題にならないでしょう」
「ベルクソンが……」クリビンが口を開こうとした。

「ベルクソンは無関係です! あなたは、では、私の「未来主義文学の技法的マニフェストへの補足」を読まなかったのですか?」癪に障った様子で、マリネッティは驚き呆れた。「私は、ベルクソン哲学のあらゆる影響を懸命に回避しながら、その補足の中で、まだ一九〇二年というときに、「星々の征服」という私の詩のエピグラフとして、『モノスとウナの対話』から、ポーが詩的インスピレーションと理性の認識能力とを比較し、前者に絶対的な優先を与えている箇所を引用したのです。なぜ、」彼は興奮し、語気を強めた。「ベルクソンの像をすぐさま浮かび上がらせずには、「直観」という言葉を使うことができないのでしょうかね? 彼が出てくるまで、ただ純粋な理性論しか世界に存在しなかったとでも思っているのでしょうね」
 我々のなかには一人のベルクソニアンも見つからなかったので、我々は愛想よく、客人の好きなように、マリネッティにとっては自分の敵だと宣言できないためになおさら耐え難いどこにでもいる幻を懲らしめさせるがままにしていた。
「直観!」マリネッティはかっとなったままだった。「直観と理性的知覚のあいだにくっきりした境界を引くことができるなどと誰が言うでしょうか? 私はこんなことは一度も主張していませんよ! 反対に、絶えず相互に交差する二つの状態の相対性が、私にとっては疑うべからざるものなのです。我々が現在夢想することしかできない詩、他でもない、「二番目の秩序の類似」の果てなく続く連鎖である詩は、まったく不条理なものにきっとなるでしょう。しかしそのためには、まだ多くのものに打ち勝たねばなりません。文学からあらゆる心理学を追放し、心理学を物質への詩的偏執と取り替えなければならないのです……」
「物質への偏執と言うのですね!」私は当時お気に入りだった話を始めた。「しかし、もしそれが詩的なメタファーでないのなら、この点における優先性は、我々、つまりあなたがアジア人とみなしている人々のほうにあるとお認めにならなければいけませんよ……。ただ物質への偏執だけが足りないのです。芸術作品としてその偏執を具現化するためには何よりも素材感覚が必要です……。しかし、まさにこれが西欧にはないのです。西欧は、芸術の有機的な本質として素材を感得することがないのです。このことは何十もの例によって証明されるでしょう。この四十年の間でも、数え切れないほどですよ。」
「しかし、あなた方のところ、つまりロシアにおける絵画の解放は、フランス人の影響のもとに始まったでしょう……」
「我々が西欧に対置するのはロシアではなく、東全体であって、我々はその部分にすぎません……。北斎や歌麿の名前が、パリで、クロード・モネやルノアールの名前に劣らず有名であった時代を忘れたわけではありますまい? 点描法はどうでしょう? それは、普通は、印象派の「コンマ」の娘、ドラクロワの広い筆あとの孫娘とみなされています。しかし、点描法は、点描法のすべての特徴――金の小片によって得られた光の震動まで含む――を内包している、モザイクにより近いのではないでしょうか? 西欧の点描主義がシニャックにおいて行き詰まり、一方、我がロシアでは、点描法は有機的な細胞として生きながらえ、細かく砕け、広がり、ウラジーミル・ブルリュークのステンドグラスになったということは理由のないことではないのです。ヤクーロフの絵画をご覧になりましたか? 彼の回転する日輪は、ドローネーのオルフィズムよりも一年早いということをご存知ですか?」
「あなたは絵画についてだけ話すのですね……」
「それは、絵画が、彫刻や音楽と同様、――芸術の国際的な言語だからですよ。あなたは、詩においては状況は違うとお考えなのですか? 残念ながら、あなたにとってはフレーブニコフも空虚な音になることでしょう。彼の天才性が最大の力で表われている諸作品のなかにある音は、まったく翻訳不可能なのです。ランボーの最高度の勇敢さと大胆さも――フレーブコフが何千年の言語の地層を爆破し、原生状態の言葉の調音的深淵に恐れを知らずに沈んでいきながら行なっていることに比べれば、幼児の片言です」
「なんのためにそんな古代性が必要なんですかね?」マリネッティは当惑して肩をすくめた。「いったい古代性が現代のテンポの複雑さをすべて表現できるのでしょうか?」
「あなたのご質問は極めて特徴的ですね。そのご質問は、あなたが物質への詩的偏執についての大げさな文言によって甲斐なくも覆い隠そうとした、素材への無関心のさらなる証拠にすぎないではないですか。実際、なんのためにあなたは句読点の廃止を勧めるのです? 速度の美のため、こうではありませんか? なるほど、しかし我々はそんな美は、申し訳ないが、知ったことではありません! Sleeping car寝台車のベッドに横たわりながら、我々は自分の移動を空間のうちに感じ取りたいとはまったく思いません。現代の技術が目指す最大限の快適さは、ちょうどあらゆる揺れ、震え、その他の速度の「美」をできる限り弱めることになるでしょう。女性をわがものにすることがあなたに快楽を与えるのは、ただあなたが性交をあなたの注視の客体としたときだけなのですか? 我々はそれを淫蕩と呼ぶのですよ……」
「あなた方、ロシア人は、ぐずぐずしていて鈍いですからね。おそらくそれはまったく東洋的な特徴なんでしょう……」
「我々は、あなた方よりは筋が通っていますよ。もう五年前に、我々は句読点を廃止しましたが、これが行われたのは、新しい句読点に、ついでに言えば、あなた方の高名なテンポを引き延ばすだけの句読点に取り換えるためではありませんでした……。我々は、この手法によって、言葉のかたまりの連続性、その自然的、宇宙的な本質を強調しているのです。詩人に唯一適した物質への偏執とは、自らの芸術の素材への偏執、言葉の本質的な要素に沈むことです。これは――古代性ではなくて、時間によるどんな計測も許さない宇宙論の実践です」
「それは――形而上学です」急にマリネッティは真っ赤になった。「形而上学は、最も忌まわしい、不愉快極まるものです。あらゆる「超自然的な」価値の独占的な搾取を要求してくるのですから! これが未来主義に何の関係があるでしょう?」彼はもはや机じゅうに向けて叫んだ。
「では、未来主義はトリポリタニアの掠奪と一体何の関係があるんでしょうかね?」私は負けじと大声で叫んだ。
 心配になったクリビンが、荒れ狂う波に和解を促す聖膏を注ぐときがやってきたと判断して、私たちのそばにやってきた。彼は、私たちの間に「ネヴァ河畔のイタリアのニュータウン」の最も美しい代表の女性の一人を座らせ、別のテーマに話題を移した。私は、寛大にも、マリネッティに、いずれにせよ私は変えることのできないオマル・アル・ムフタールの運命を今後取り仕切る権利を譲った。彼は、その代わりに、原生状態の言葉の深淵、つまり彼の考えでは取るに足らないトリポリタニアのわずかな土地を誰からも統制を受けずに利用することを私に許した。
 ふたたびマリネッティは上機嫌になり、私に、自分の最新の本――騒々しい『ザン・トゥム・トゥム』を、あらゆる懐古趣味に反対するイタリア未来主義者とロシア未来主義者の同盟を意味する矢のような形の献辞を入れて贈呈した。
 私たちは、明日の夜の十二時ごろに、高名な客人の祝賀会が予定されていた「野良犬」で会うために解散したのであった。


底本:Лившиц Б. Полутораглазый стрелец: Стихотворения. Переводы. Воспоминания. Л., 1989.