Б.リーフシツ『一個半眼の射手』
第七章 我々と西欧
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 マリネッティがペテルブルクに到着する前日に、クリビンが自宅に打ち合わせめいたものを招集した。彼は、私たちから客人に対する一致団結した態度を引きだそうとし、モスクワで起こったことを未然に防ごうとしていた。
 フレーブニコフと私が非妥協的な立場をとったので、これはまったく容易なことではないことが分かった。我々は、お互いに合意に達することはなく、マリネッティがロシアへの旅行を組織のリーダーによる支部の一つへの訪問とみなしていると確信するに至った。
 これに対しては断固として反撃するべきであった。我々は、自分たちを西欧の未来主義の分派とみなさないばかりか、若干の根拠があって、多くの点では我々のイタリアの仲間を追い越しているとさえ思っていたのだから。
 実際、まだミラノにいたマリネッティから送られてきた一ダースのマニフェストにざっと目を通しても、とりわけ直接的に文学に触れていた三つの中にも、我々は自分たちにとって新しいものは何も見いだせなかった。イタリア未来派によって提起された命題の大半は、我々にとっては、すでに通り越された段階か、あるいは我々全員の前に立てられた課題の中途半端な解決であった。
 これらの課題は、もちろん、芸術の「テクノロジー」の限界を超えてはいなかった。なぜなら、イタリア未来主義の「哲学的」前提条件は我々にとって理論的関心にすぎなかったから。何らかの共通した綱領について、こじつけ抜きで話すには、二国における同名の潮流を引き起こした原因はあまりに異なっていたのだ。
 マリネッティの到着とこの事件によって生じた噂話は、ロシア未来派とイタリア未来派の関係をテーマとする講義を幅広い聴衆の前で行うという以前からの私の目論見を強固にすることになった。さしあたっては、私は、未来派人はマリネッティのグループから分離独立しているということを表すマニフェストをせめて発行することは不可避であるとみなしていた。
 フレーブニコフも同意見だった。残る全員――ニコライ・ブルリューク、マチューシン、ルリエー――は、「我々の大切な客人」がその中に自身に向けられた侮辱をきっと認めるような宣言を出すことは折の悪いことだと口角泡を飛ばして証明していたクリビンに同意した。クリビンは、ペテルブルクの人々は――モスクワの人々とは違うということ、我々は真のヨーロッパ人ぶりを発揮して、モスクワの同胞の間違いを正さなければならないことを強調して、地方的な愛国心に働きかけさえした。
 アジア人として残ったのは、我々二人、フレーブニコフと私だった。
 翌朝、彼は、まだ暗いうちに私の家に来て、それから私たちは十五分で檄文を作成し、晩までにマリネッティの講義で配布することができるように、彼はそれを印刷所に急いで運んで行った。
 カラシニコフスカヤ取引所のホールはすでに満員だったが、講義開始の三十分前に会おうと私と約束していたフレーブニコフはまだ来ていなかった。クリビンは、どこからか私たちのマニフェストのことを聞き知っていて、私と同じように、ドアをじっと見つめていた。
 ついに、マリネッティが壇上に現れた最後の瞬間に、青ざめた顔で息を切らしたフレーブニコフが、胸に檄文の束を押し付けながらホールに突入してきた。私に半分を突きつけると、彼は急いで列を回り始めて、手当たり次第にビラを配っていった。印刷所で彼はすでにテキストにいくつかの訂正を加え、あまりに辛辣に思える表現を和らげていた。事務用の、青い方眼入りの紙に印刷された我々の檄文とは、以下の内容であった。

  今日、ネヴァ河畔のある原住民とイタリアのニュータウンは、個人的な理由でマリネッティの足にしがみついて、自由の名誉の途上にあるロシア芸術の最初の一歩を売り渡し、アジアの気高い首をヨーロッパのくびきのもとに差し出している。
  首に首輪を付けたいと思わない人々は、ヴェルハーレンやマックス・リンデルの恥辱的な日々においてのように、暗い偉業の静かな観察者でいるだろう。
 意志ある人々は傍観者にとどまった。彼らは歓待の決まりを知っている、しかし彼らの弓は引かれ、顔は怒っている。
  異人よ、お前が来た国を覚えていろよ!
  歓待という羊の上には奴隷根性というレースがあるのだ。

 В. フレーブニコフ
 Б. リーフシツ

 私が十部も配れずにいるうちに、クリビンが私に向かって駆け寄ってきた。初老の男性とは思えぬ機敏さで、彼は、私の手から束をすべてひったくると、激怒して自らの獲物をずたずたに引き破りながら、すでに最後列で立ち回っていたフレーブニコフを追った。クリビンが怒り狂っているのを見たのは、人生で初めてのことだった。彼は、我を忘れていて、一睨みで私とフレーブニコフを灰にできそうに思われた。
 ホールのもう一端にいた彼らのところで何が起こったのか私は知らないが、ニコライ・イワーノヴィチが壇上に戻ってきたときには、彼は動いている列車から飛び降りた人を想起させた。私には彼と話す時間がなかった。なぜなら、マリネッティがすでに講義に取りかかっていたからである。
 彼は、短調で始めた――自身の偉大なる過去に押しつぶされ、方々からやじ馬の大群が集まってくるすべての市場で過去を売り物にしている、現代のイタリアの状況を訴えるところから。 「観光旅行――これが我が祖国の身体を蝕む潰瘍なのだ!」悔しげに彼は叫んだ。「外国人のやむことない襲来は、生きている国を過去の墓場に変えてしまうだけでなく、国の旧習の遺物や、美術館、画廊、その他の貯蔵所への関心を常にかきたてながら、将来の発展へと向かう若く力強い我々の道を妨げ、我々を過去の捕虜のままにさせておこうとするのだ」
「悪夢のようなミケランジェロの亡霊が、我が友人のボッチョーニのすぐ後を追いかけ、偉大な作品を作る可能性を彼から取り上げてしまう。他の芸術である、絵画、音楽、詩もまったくこのような状況なのだ……。しかし、イタリアの真の顔は――フィレンツェでも、ローマでも、ヴェネツィアでもないし、産業の中心は――ミラノ、ジェノヴァ、トリノである。それらの地ではすでに、都市生活の複雑化と成長している工業技術によって引き起こされた新しいテンポの発生を認めることができる……」
「我々は新しい芸術――スピードの芸術を認識した。それは、自動車の走行や飛行機の飛行のなかで我々に与えられ、我々はそれを芸術の中に具現化しなければならないのだ! ダイナミズム――これが現代の基本原理である!」
 これはすべてもうずっと以前に知られていたことで、数年前に発行された古いマニフェストの他ならぬ語り直しであった。未来派について小耳にはさんだだけの人びとでさえ、マリネッティの講義の中に、何か自分にとっての新発見を見つけることはできなかった。それにもかかわらず、超満員のホール全体が、演壇の上で生き生きとした身振りでよく動き回る小さな姿をじっと見守っていた。
 身振り――この言葉は、酔っ払いの技師が人工的に速めた映画の中にいるような、次から次に交替する動きの電光石火のスピードを表すのに適した言葉では全然ない。マリネッティは、新しい動力学の可能性を、自分を例として正しく示してみせながら、二つに分裂して、手足を脇に突出し、拳で見台を叩き、首を横に振り、白目を輝かせ、歯をむき出し、コップの水を次々に飲み干し、一息つく時間も割かなかった。大粒の汗が彼のオリーブ色の顔を流れ落ち、ヴィルヘルム風の勇猛な口ひげはもう上を向いて立ってはおらず、襟は形を一切失ってぐったりとしていたが、彼は、大言壮語の機関銃火を聴衆に浴びせ続け、その言葉の中では、滑らかなロマン主義的な長たらしい文が絶えず擬音の破裂によって切り分けられていた。
 私は、このシャーマンの踊り、このとめどない身体運動の拡大、この耳をつんざくような言葉の花火と、ヴェルハーレンが深い感銘の抑えられた情熱とゲタイの堂々たる思想の張りつめた力とをその中に込めた、紫がかった老いた手の乏しい身振りを比べていた。ペテルブルクの気狂い女たちが、イタリア人の非の打ちどころがないほど端正な顔立ちを食い入るように見つめながら、エリーニュスたちがその中に女性嫌悪への当然の罰を認めるような恋文を書き、また雑報欄記者が、メモ帳に南国人の情熱的な気性についての独自の意見を書きつけていた一方で、私は、まったく別のことについて考えていた――我々ロシア人には無縁の感覚、マリネッティの精神の傾向のうちに完全に表れていたポリスの感覚について。
 自分の生まれた都市を、心から宇宙の中心とみなしていたミラノ人は、壇上で狂暴に振舞っていた。ミラノの運命に無関心でいる権利は誰にもなかった。なぜなら、それはまさに人間の運命なのだから。祖国と同一視されるポリスの世界的な使命への狂信だけが、イタリア未来派のリーダーに、ギリシャ悲劇の底高の靴を履き、悲劇の仮面を被りながらも、自分の家庭の問題を二大陸に押し付けることを可能にし、そしてその際にも滑稽に過ぎるとは思わせないことを可能にしたのだ。
「戦争――これが世界の唯一の衛生なのだ!」彼は最後の力を振り絞って大声で叫んだ。「軍国主義と愛国主義万歳!……緊張を緩める女性の影響を追放せよ! 我々に必要なのは英雄で、センチメンタルな吟遊詩人や月の光の歌い手ではない!……」
 マリネッティが聴衆の前で述べたこの完成した政治的な綱領は、我々の宣言とはなんと似ていないことだろう! 実際、彼は、細部に至るまで解説しないことを好み、彼のスローガンの真の根幹を作っているのは何かということをほのめかすこともしなかったが、しかし、それは、現実から最後のロマン主義的な覆いを取り去ることをせずにはできないことだった。
 マリネッティの熱狂的な叫びが意味したのは、他でもなく、どんなことがあっても自分の産業と国外市場を持ち、独特の植民地政策を行いたいと願っていた、半分が農民の国に住む富裕な有産階級の性急な渇望、熱烈な憧れだった。マリネッティによって賛美された伊土戦争と自然の拒絶(「月の光に死を:我々は電気の月に照らされた熱帯を褒めたたえよう!」)は、イタリアをこの道に押しやった唯一の力の表れの多種多様な形にすぎなかった。
 マリネッティの未来派は、彼の主張に反して、未来への信仰ではなくて、現代の、より正確には、差し迫っていることのロマン主義的な理想化、――イタリアの新興帝国主義の主要な志向を焦点としての自身に集めていた理論であり、「今日」の擁護であり、正真正銘の「現在主義」であった……。


底本:Лившиц Б. Полутораглазый стрелец: Стихотворения. Переводы. Воспоминания. Л., 1989.