Б.リーフシツ『一個半眼の射手』
第七章 我々と西欧
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 一夜ならず、数夜ぶっ続けで、マリネッティは「野良犬」で過ごした。祝賀会は、ほぼ一週間に長引き、メイン・リードの時代にバイソンの胴体を囲んでアメリカインディアンの民族全体を団結させた長期にわたる大宴会の規模になった。マリネッティは、肉屋か手品師のように腕まくりをして、メンバーの入れ替わる群衆の面前で、未来主義の胴体から内臓を抜いたのだった。
 普段はボリス・プローニンに見下されていた我々、国産の未来派人は、神官のイタリア人の両脇に重々しく腰かけている上院であった。今や、我々の価値は一気に高まった。「アジア人」にとっては苦い喜びだ――「ヨーロッパ」の栄誉の光のなかで暖をとることは。だが、まさに「犬」にあっては、守るべき正統教義などなかったのだ! さらに、慰めとなりえたのは、「犬」の責任者たちの考えでは、そこを越えたら未来派の狂気の深淵がぱっくり口を開けているという、「真の」芸術の理解できるぎりぎりのところを体現していたアクメイストたちが、暗い角に追いやられ、プローニンの秘密指令によって大宴会の席から引き離されていたという事態だった。
 マリネッティは、特別の軽快さで、自らの理論のどっしり重たい胴体の左右をひっくり返し、そこから、定期市の魔法使いのように、最も思いがけないものを引きだした。彼は驚くべき才能を有していた。自分を取り囲む群衆に視線をすべらせてから、彼らが何を必要とし、何によって確実に彼らをとらえることができるのか、ぴたりとあてることができたのだ。
 ここ、この地下室では、ナイフとフォークの触れ合う音で最も面白い演説がかき消されてしまい、また一ヶ月後には雰囲気によって誤解させられたポール・フォールが、何の罪もない「薬剤師たち」を自らの「口上」でへとへとにさせてしまったのだが、マリネッティは、昼夜を問わずいつでも彼の人生の唯一のテーマであった未来主義についてとめどなく話すことができたにもかかわらず、一つの講義も、一つの小報告も行わなかった。
 「野良犬」では、彼は、小テーブルについている聴衆の前で自身の信条を述べるために壇上に登ることは一度もしなかった。彼自身は、グラスを次々に空にしながら席についていて、彼のすぐそばで起こっているすべての物事に無関心だった。しかし、誰かがグランドピアノに近寄って、このシーズンにお決まりのタンゴを告げる、よく伸びるいくつかの和音を鳴らしただけで、マリネッティはすぐに眠気を払い落として、いきなり雷のように話し始めたのだ。
 ロシアに到着する十日前に、彼は「タンゴとパルジファルを追放せよ!」というマニフェストを出していて、今、彼はその中から最も辛辣な個所をそらで引用したのだった。
「女性をわがものにすることは――その女性に身を摺り寄せることではなく、身体によって身体を貫くことなのだ!」彼は恐ろしい形相で叫んだ。
「ふとももの間に片膝を挿しいれるだって? なんという子供っぽさだ! もう片方の膝はどうするつもりなんだ?」彼は、やっとポジションに立とうとしたばかりの、石のように固まったペアのほうを向いた。
 このような警句に愕然とした名うてのタンゴダンサーたちは、自身の席に凍りついた。マリネッティは、勝ち誇ったように辺りを見回し、ふたたびまどろみに沈んだ。誰かが発音したプーシキンの名前が彼をまたも机から飛び上がらせるまでは。
「聞こえたぞ――プーシキンだって!」彼は憤慨して、偉大な過去の伝統について思い出させたうかつな「薬剤師」に食ってかかった。「どれだけ長く死者たちが生者たちをとらえることだろう! あなたは昨日おっしゃいましたね」彼は私に顔を向けて、「神から授かった自身の利益、芸術におけるマキシマリストになるという自身の歴史的幸福を手放したくない、と! あなた方の国に、美術館、図書館、そのほかの怪物がないことを引き合いに出して、これを証明できるならしてみなさい! あなた方は、我々が我が国の死者たちによってされているよりもひどく、あなた方のプーシキンによって口をふさがれているのですよ!」
 これらの短い攻撃的発言は、理論の適用の目に見えるレッスンとなりえたので、一時間続く演説となった。我々にこのようなレッスンが必要だっただろうか? そうは思わない、時おり、我々は、科学らしさへの過度な憧れやロシアのインテリゲンチアに典型的な理論の実践からの隔絶という欠点があったとはいえ。
 それにもかかわらず、マリネッティは、ロシアで何らかの指導者的機能を果たすことを確信していた。たとえば我々のビラのような、冷たい水の桶が、彼の伝道者的情熱を冷やしたのは少しの間だったのだ。


底本:Лившиц Б. Полутораглазый стрелец: Стихотворения. Переводы. Воспоминания. Л., 1989.